馬鹿

琅琊榜ロスを味わった後、日本にもなじみ深い逸話の宝庫として

項羽と劉邦King’s warという中国ドラマを楽しんでいる。

 

秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高が、自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺した。

 

という馬鹿の由来ともいえる場面を見た。

そこで、馬鹿の由来を調べてみた ^^

 

サンスクリット梵語)説  最も有力な説である。
サンスクリット語で「痴、愚か」を意味するmohaの音写である莫迦の読みからくるとする説。僧侶が使っていた隠語であって馬鹿という表記は後の当て字であるとする。江戸時代の国学者天野信景が提唱した説であり、広辞苑をはじめとした主要な国語辞典で採用されている。
同じサンスクリット語のmahailaka(摩訶羅:無知)(新村出石黒修)、あるいはmaha(摩訶:おおきい、偉大な)を語源とする説もある。
バングラデシュ公用語であるベンガル語でも「バカ」という単語は日本語と同じく愚かな者を指す。ベンガル語サンスクリットを祖語とする。

 

どうやらこの辺のところが定説のようで、「馬鹿」のうち鹿の「か」は訓読み(日本語)であり、中国風の音読みで馬鹿を「ばか」と読むことはできないなどの問題があるようで、項羽と劉邦のお話は関係ないようですね。

 

お彼岸を迎え、お墓参りの方々で賑わってます^^

 

 

無我 おしまい ^^;

無常は無我の別名です。

ものは時間的にいえば無常であり、

空間的に言えば固定的同一性をもたない、つまり無我なのです。

無常で、独立した自性をもたないのは、物理的現象だけのことではなく、

たとえば、われわれの身体のような生理的現象も、

またたとえば、感情などのような精神的現象についても同じことがいえます。

 

 以上はティク・ナット・ハンという方の著書から写しました。

 難しいことはよくわかりませんが、なるほど面白いなと思い掲載しました。

 

 

無我 つづき

無我という表現を理解するためには、仏教が説く無常という概念も

考察しなくてはなりません。

すべては無常です。あらゆるものはたえず変化しているからです。

何ものも連続する刹那(想像しうる時間の最小単位)にわたって

同じであることはできません。

二刹那というごく短い時間においてさえも、

みずからの同一性を維持できないのは、

ものがとどまることなく変化するからです。

みずからの同一性を固定する能力がないがゆえに、

ものは無我であるといわれるのです。

つまりものには絶対的同一性(我)がないのです。

固定的な同一性をもっていないがゆえに、

いまの刹那のAは、もはや前の刹那のAではないのです。

AがAではないとというのはそのためなのです。

無我

竹脇無我さんの話じゃありません ^^

無我夢中でもありません ^^;

数多くのお経が中国大陸を経て伝わったせいで、

仏典(お経)の中の漢字は意味が解り難いですね。

 

仏典にはすべての現象は無我をその性質としているということが、

しばしば述べられています。

ものには「我」が無い(一切諸法無我)。

これが意味するところは、何ものもそれ自体のうちに絶対的な同一性

(他と無関係にAがAであると言いうる性質=自性)をもっていない

ということです。

これは、形式論理の基礎になっている同一律を拒否するということです。

同一律に従えば、AはAであり、BはBでなければならないし、

AはBであることはできません。

それに対して無我の教義は、AはAではなく、BはBではない、

AはBであることができるというのです。

これは人々にショックを与え、自分たちの考え方を

再吟味するよう促します。

             つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

二百二十日

今日は二百二十日ですね。

今年は、大雨や台風、大地震と痛めつけられています。

気象予報士によると、台風の数も増えそうと言います。

何だか、もう勘弁してくださいですが、

色々と備えをして置かなければいけませんね。

被害を受けなければ、つい対岸の火事になりがちです。

 

お墓の備えだって、同じことだと...。

元気なうち、何もない時こそ備えるべきじゃないでしょうか。

 

秋に月あり

好きな言葉に

 春有百花秋有月  春に百花あり 秋に月あり

 夏有涼風冬有雪  夏に涼風あり 冬に雪あり

 若無閑事挂心頭  若し閑事の心頭に挂ること無くんば

 便是人間好時節  すなわち是れ人間の好時節

と言うのがあります。

 

台風が近づいてるのに、それどころじゃないですが...

でも四季折々のある日本ならではで、

閑事の心頭に挂ること無くんば、それも好時節なのかもです。

 

まぁ現実は、閑事が心頭を埋め尽くしていて、

それを追い出すなんて人間業じゃないですね^0^