南伸坊さんの本

河合隼雄さんの本をけっこう読んだあと、

多田富雄さんの「免疫の意味論」や「生命の意味論」に

深い衝撃を受けて、アマゾンの古本を散策するうちに

南伸坊さんの個人授業シリーズに出会った。

 

現在は「解剖学個人授業」を読み直しながら、

「笑う子規」を読んでます。

 

なんかのTV番組で俳句バトルを見たことがありますが、

やはり正岡子規というのはスッゴイ人だったんですね。

俳句もすごいが天野 祐吉さんのコメントが出色です!!

 

こうして、どんどんどんどん深みにはまっていきます ^0^

生物学個人授業の続き

生物学個人授業(岡田節人南伸坊)を読み終えました。

ホント面白かったぁ^0^

 

生と死についても考えさせられました。

トピックとして言えば、

「生きもののからだは、すべて細胞からなっている」

「細胞の死なくしては生はない」

ということです。

「細胞の死」で面白いのは、

「いつ、どこで、どれほどの数の細胞が死ぬか」

というプログラミングができているという事。

これができないと、生きもののかたちにならない。

 

ふしぎな事ばかり習いました。

頭の中で勝手に作り上げていた常識がボロボロです^0^

 

生物の発生はふしぎの連続。

岡田節人「体の設計図」を読み始めました ^^;

 

十二支

お隣中国では明日から春節

今朝のニュースで面白い事を知りました。

十干十二支は中国から伝わったものだから、

周辺国でもみな同じだと思ってました。

日本のことをWikiで調べると、

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称である、とあります。

日本の亥は猪ですが、中国では亥は豚なんですね ^^;

ここで生肖(せいしょう)を調べると、

生肖は十二支に鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊(山羊)・猿・鶏・犬・猪(豚)

の十二の動物を当てたものである。

「酉」は漢字の読みとしては「とり」だが、意味は「にわとり」である。

また、亥に当てられるのは本来、ブタであり、日本のイノシシが特殊である。

漢字の「猪」は中国ではブタも含めた言葉であり、

イノシシのみを指す場合は「野猪」や「山猪」と呼ぶ。

なるほど~~~^0^

 

下記は世界の十二支

日本の干支
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪
中国の干支
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪
台湾の干支
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪
韓国の干支
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪
チベットの干支
鼠、牛、虎、、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、豚
タイの干支
鼠、牛、虎、、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、豚
ベトナムの干支
鼠、水牛、虎、、龍、蛇、馬、山羊、猿、鶏、犬、豚
ロシアの干支
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪
モンゴルの干支
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪
ベラルーシの干支
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、豚

 

おもしろいなぁ^0^

ふとしたこと

ふとしたことから、頭に浮かんだこと。

 

聖徳太子の17条憲法の10番目。

絶忿棄瞋 不怒人違 人皆有心 心各有執 彼是則我非 我是則彼非 

我必非聖 彼必非愚 共是凡夫耳 是非之理 詎能可定 

相共賢愚 如鐶無端 是以彼人雖瞋 還恐我失 我獨雖得 從衆同擧

 

人が人と交わると、様々なことが起こります。

その時、太子の言葉は深く考えさせられます。

「己事究明」は仏教の基本ですが、なかなかこれができない。

 

人生の玄冬期に入り、多々思うことしきりです。

 

如月

早いもので、もう2月です。

光陰矢の如し...いや光陰光の如しかな。

 

WIKIには、

「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、

日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない。

「きさらぎ」という名前の由来には諸説ある。
旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣を更に着る月であるから「衣更着」
草木の芽が張り出す月であるから「草木張月」
前年の旧暦八月に雁が来て、更に燕が来る頃であるから「来更来」
陽気が更に来る月であるから「気更来」

とあります。

 

今年は昨日までそれほど寒い日がなかった。

実感としては例年2月が一番寒い気がします。

そういう意味では、衣を更に着る月であるから「衣更着」というのが

ピンときます。

 

中国では5日から春節ですね。

旧正月と言うくらいですから、やっぱ寒いのかな..。

 

 

 

快感

習慣的に、布団の中で本を読みながら寝ます。

最近はよく読めても数ページです (即爆睡 ^^;)

固い本だと数行でアウトなので、柔らかい本が殆どです。

 

昨晩は15年くらい前に買った本で、

生物学個人授業(岡田節人南伸坊)を再読開始。

 

伸坊さんの言葉ですが、なるほどと思ったのが、

「わかる快感というのは、わかったつもりでいたことを、

 こなごなに砕かれる快感なのだ。人間は分った時に

 快感を感じるようにセットされている、とボクは思ってる。

 わかった風なことを書いてしまいましたが、

 もちろん砕かれるべき常識、知識もまた、

 ためこんでいなければ、その快感も少ないんですけどね。」

 

岡田節人先生の講義は全編余すところなく快感だらけです。

プラナリア(子供の頃に習いました)のことも快感でした。

プラナリアは雌雄同体で、自分の身体を自ら2つに切って

2匹にするのが、彼らの生殖なのだそうです。(大体3日に一度)

雌雄同体なので、全て最初の一匹のコピーですよね。

そうすると、千年それを繰り返していたとしたら、

プラナリアの命は千年だと言えるのでしょうか。

面白い問いかけです。

私たちが学識として持っている、「生老死」とは別の

パターンがあり、しかも相当多いのだそうです。

 

ん~ん、快感でした。(考え込んだけど...)

 

スウィート・ノベンバー

映画の話題に終始しますが、昨晩はピックアップしていた映画でなく、

なんとなく「スウィート・ノベンバー」を観ました。

 

自分は記憶力が他の人と違うようで、過去の事を簡単に忘れます。

若い頃に履歴書が書かけなくて苦労していたら、

先輩がスラスラっと書いてみせてくれ、大笑いされました。

この映画もずいぶん昔に妻と一緒に観ましたが、

妻は結構覚えているのに僕には全く記憶がなかったのです。

 

情けない事ですが、物は考えようで、

新しく観るように新鮮に楽しめました (負け惜しみ)。

 

偶然とは言え、この映画も愛する人の死を主題にしていました。

Wikiで調べたら「最低リメイク及び続編賞」「最低男優賞(キアヌ・リーブス)」

「最低女優賞(シャーリーズ・セロン)」にノミネートされた。

とあったのですが、それなりによい映画でしたよ。