2019年も押し詰まりました。

平成から令和になった2019年も、あと5日です。

極楽墓園の管理事務所は29日~3日までお休みします。

花ごみ清掃などの管理業務は、休まず毎日続けます

 

前回前々回と、樹木葬や合葬墓について書きました。

お墓のことでお悩みの方に手が差し伸べられる、

美鈴極楽墓園なりの答えを考えました。

 

石材業者、加工業者、彫刻業者、据付業者の方々との

打ち合わせもほぼ終わり、2020年早々にも発表いたします。

 

年末のあわただしさの中、皆様が無事年を越されますように!

そして来年が皆様にとって幸多い年でありますように!!

職員一同、心よりお祈り申し上げます。

文化と伝統

「供養」と言うのは、もちろん最初は仏教用語サンスクリット語から来ています。

 

日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを供養ということが多く、

派生して、仏教と関係なく、死者への弔いという意味で広く供養と呼ぶこともある。

また動物等に対する供養、さらには針供養ように道具等に対する供養もある。

 

これが日本の文化であり伝統でもあります。

死者や祖先を慈しみ感謝するだけでなく、動物やモノまで慈しむ。

これが世界に誇れる日本人の心の伝統だと思うのです。

 

辛い言葉を書くのですが、亡き人をまるでごみのように扱い、

見ず知らずの人とまぜこぜにして合葬する....。

「心無い」と言う言葉しか浮かびません。

 

極楽墓園ではどうしても受け入れられないのです。

 

 続きます....

 

樹木葬と言う名の合祀墓

樹木葬」と言う奇妙な言葉を聞くようになって、数年が経ちます。

勿論、世界各国の人の弔い方を見ると色々ありますが、

私たちは日本に暮らしています。

 

各家庭の事情、考え方で、この方法を受け入れる方も居られます。

それはそれで仕方ない事で、決して非難するのではありません。

新しい考え方が受け入れられるのは、

それなりの理由があることも理解しています。

 

しかし、よくお考えいただきたいのは、

多くの樹木葬が、やがては合祀されてしまうと言うことです。

弔う」を調べてみると、

1 人の死を悲しみいたんで、遺族におくやみを言う。

2 死者の霊を慰めるために追善供養を営む。

とあります。

亡くなられた方を弔うというのは、合祀ではありえません。

極楽墓園に樹木葬や合葬墓が無いのはその故です。

 

続きます....

 

 

 

 

朝の散歩

加齢のせいで早朝に眼が覚めます。

特にすることもないので、早朝散歩始めました。

昨日は雨で歩けませんでしたが、今朝は暖かでした。^0^

3000歩ほどの道のりですが、帰るころには汗ばんでました。

 

まだ暗い中での散歩は、徘徊と間違えられそうですが、

まずほとんど人と出会うことがありません。

 

ご近所迷惑にならないように、主要道路を静かに歩きます。

今日で2週間、いつまで続くかな....^^

 

 

あっという間にもうすぐ年末 ><

快晴微風の穏やかな天気です。

墓参のお客様も気持ちよさそうにお参りされています。

 

書きたいことが色々あったのですが、

年末を迎えるため雑務や、新しい企画を考えているうちに

あっという間に時間が過ぎてしまいました。

 

モミジなどの落葉もほぼ終わり、

清掃の手間も落ち着いてきました。

 

間もなく新企画のこともお知らせする予定です。

思わぬ効用

朝の冷え込みが厳しくなりました。

外に出るのが億劫になりますよね。

 

年を取ってから、体調を崩したり入院したりすると、

快復してもガクッと体力が落ちているのに気づきます。

リハビリとか運動をしなければいけないことは

解っているのですが、なかなかできません。

朝夕ウオーキングをしている方々をよく見かけます。

でも無目的に歩くというのは、なかなか続きませんよね。

 

お墓参りと言う目的をもって、

月に何度も歩いてこられるお客様がおられます。

最初のうちは少し大変でも、目的がありますから、

徐々に慣れてこられるようです。

 

気持ちの上でも、身体にも、思わぬ効用になっていると思います。

お墓参りで、ご先祖様が守って下さっていることになりませんか^^

 

継続は力 ?

早いものでもう11月。

漢字に関心をもって、もう1年が経過しそうです。

継続は力と言いますが、継続するのに力がいるだけで、

漢字力は一向に力になりませんねぇ ^^;

 

さて、漢字の効用について司馬遼太郎さんの

街道をゆく「閩のみち」に面白い記事がありました。

 

紀元前の秦の統一で”共通語”としての漢文が大きな意味を持った。

もし漢字漢文がなかったら中国は統一されなかっただろう。

ローマ字のような表音文字では、方言ごとに分かれてしまい、

ヨーロッパと同じように国々に分かれていただろう。

この点漢字は表意文字で、文字の音は歴史的地理的に違っても

形と意味には変化がなく、天下の隅々に通用した。

「食」と書けば、紀元前の孔子も、三世紀の関羽将軍も、

今世紀の黒竜江省の漁民もすべてわかる。

こういう時間と空間を超えた記号を持つ文明は他にない。

 

日本でも伝わった時によって、唐音で読んだり、

宋音で発音するが、字は同じですね。

行脚...あんぎゃ(宋音)でギョウキャクとは言わない。

漢字...これは文明なんですねぇ。

 

漢字を覚えられなくて、全部ローマ字かひらがなにすれば良い

と思ったことがありますが、なんだかなぁであります。