む~~

おはようございます。

西日本各地の豪雨のあとの様子が心配です...。

 

雨上がりの蒸せかえるような湿度の中ですが、

出勤途上に見える山々の新緑は雲間の光に明るく映え、

初夏を思わせるような濃緑と対比して、とても綺麗です ^0^

 

その昔、大燈国師という偉い方が悟ったのち、京都三条の橋の下、

乞食仲間の中で修行を続けておられたそうです。

その方を見つけ出す必要が生じたのに、誰が誰だかわかりません。

そこで一計を案じ、和尚の大好物のまくわ瓜を供養することにして、

役人にこう言わせたそうです。

乞食一人一人に「無手にて受け取れ」と。
そうしたら大燈国師だけがその意味を知り、つい「無手にて手渡せ」と。

こう答えたのでその素性がばれてしまったそうです。

 なかなか良く出来た逸話です ^0^

 

難しいことは良く解りませんが、禅はよく「無」を使いますね~。

般若心経にも無眼耳鼻舌心意な~んて。

心経にある「無」の意味とは少し違いますが、

無眼にして見、無耳にして聞き、無鼻にして嗅ぎ、無舌にして味わう。

普段の生活では眼や鼻や耳を使う意識なしで、それらの事が出来ている。

足や手を意識しなくても歩けるし、車の運転も出来る。

「無手にて...」って、そんなことかなぁ、と思います。

 

歳とともに眼や歯や手や足や肩が腰が、ここにいるぞ!と訴えてきて困ります。

無眼耳鼻舌心意...で暮らせたら、これって幸せな事なんですね。

 

幸せなうちに備えておくお墓(生前墓)...それを寿陵と言います。

昔から縁起の良い大切な事として、名付けられたようです ^0^