少し長文になりますが、チョット良いお話を。
山田無文師は旧制中学卒業の頃、人生の目的に迷いが生じ
その目的を探してあちこちさまよわれました。
新訳「入菩薩行」というお経の話を聴かれたそうです。
「世界中を牛の皮で覆うならば、われわれは跣(はだし)で歩かれる。
しかしそれは不可能である。だが、自分の足に六寸の靴をはけば、
世界中を皮で覆うたと同じことになる。世界中を自分の意にかなう
理想国にすることは、おそらく不可能である。しかし、
我々が菩提心を発するならば、そして忍辱の靴を履くならば、
ただちに世界中は自分の心にかなう理想の天国となる。
一度、身も心も一切衆生のためにささげるという菩提心をおこすならば、
凡夫がただちに仏になれるのである。もし鉄を黄金に変ずる術が
発見されるならば、それはまさに世界の奇跡である。
だが、それよりも偉大なる奇跡は、凡夫が仏になれることである。」
この聖語を幾度もくりかえし読まれたそうです。そうして出家されたのでした。
そして、このように書いておられました。
「人間の眼というものは、人をみるようについております。
だから、人生というものは、どうしたら人に奉仕できるかということだけを、
考えていたらよいものだと思います。
そう人のことばかり考えていたのでは、自分がたち行かぬではないかと
考えられますが、そうではありません。
自分は、たった二つの眼で、社会をながめているにすぎませんが、
社会は何千何万の眼で、こちらを見ていてくれるのです。
社会のためにのみ奉仕する菩薩を、だれが見殺しにしましょう。」
こんなに立派な心持ちには及びませんが、
私どもが、墓園を通じてご奉仕する根っこの思いがここにあります。