昨日の中国新聞「劉氏火葬 遺灰を海に 当局強制か 墓の聖地化警戒」
という見出しの記事を読みました。
ノーベル平和賞受賞者 劉 暁波 氏について、詳しくは存じません。
ただ、偉大な人の死後にまで政治が介入して、
完全に抹殺しようとするのを悲しく思います。
「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉は、
人が生きるにはパンが絶対必要だという反語的表現でもあります。
もし聖地化を警戒して抹殺を謀ったのであれば、
墓が聖地であることの強烈な反語表現ではありませんか?
ただの市井人として生まれ育ち、たとえ立派でなくても、
誰憚ることなくお墓が建てられる国に生きていることを幸せに思います。
仕事柄、種々の宗教や種々の考え方、様々な生き方に接します。
その姿勢の現れ方は様々であっても、心の基調に流れている、
父母祖先に感謝し、子を子孫を思う心は変らないように思うのです。
そういう私たちの聖地として、お墓は伝えられていくのではないでしょうか。
私共に出来るのは、そういう方々のお手伝いだと思っております。