無我
竹脇無我さんの話じゃありません ^^
無我夢中でもありません ^^;
数多くのお経が中国大陸を経て伝わったせいで、
仏典(お経)の中の漢字は意味が解り難いですね。
仏典にはすべての現象は無我をその性質としているということが、
しばしば述べられています。
ものには「我」が無い(一切諸法無我)。
これが意味するところは、何ものもそれ自体のうちに絶対的な同一性
(他と無関係にAがAであると言いうる性質=自性)をもっていない
ということです。
これは、形式論理の基礎になっている同一律を拒否するということです。
同一律に従えば、AはAであり、BはBでなければならないし、
AはBであることはできません。
それに対して無我の教義は、AはAではなく、BはBではない、
AはBであることができるというのです。
これは人々にショックを与え、自分たちの考え方を
再吟味するよう促します。
つづく