白骨の章
あまりにも人口に膾炙された名文ですね。
浄土真宗の門徒でなくても知っている...。
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、
この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。一生すぎやすし。
今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、
遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、
一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、
六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、
ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり。」
疎か..いえ愚かな私は、蓮如上人が創作されたものと思っていました ^^;
みなさんは、ご存知だと思いますが...。
「凡無墓者人始中終。
如幻 者一朝過程也。
三界無常也。
自古未聞有萬歳人身。
一生易過。
在今誰保百年形體。
實我前人前。
不知今日不知明日。
後先人繁本滴末露。」
これは後鳥羽上皇の「無常講式」(1250年頃)の中の一節。
これが存覚上人によって『存覚法語』(1360年頃)に取り上げられ、
その後蓮如上人の白骨の章(1480年頃)になったようです。
無常講式以前は和漢朗詠集や白楽天(白居易)にも遡るそうです。
昔のえらい人はえらいだけでなく、本当によく勉強しておられます ^^;
そうしてそれが、連綿と続く日本の文化を作り上げているのですね。