漢字

無駄な抵抗、年寄りの冷や水..を始めて3か月が経過。

一日のうちのわずかな時間ですが、どうやら続いています。

成果はどうかと言えば、忘れていくのと競争で何とか勝ってるかな ^^;

 

漢字の樹海に飛び込んでしまったようです。

所詮、漢字も伝達手段(言葉)である以上生きているわけですが、

長い歴史の上で、中国では訳の分からない簡体文字になってしまってるし、

日本でも当用漢字の問題などで、表記がまちまち ><

良くない頭の中が、余計にこんがらがってしまいます。

 

漢字は感字で、伝わればよいという見方もあります。

結局どんな難しい漢字を知っていても、伝わらなければ意味がない。

しかしそれでもその漢字を使うことで、よりイメージが正確になる

と言うのもありそうですし...^^

 

以上、戯言でした。

 

 

 

雨の雛祭り

男の子ばかりの我が家に、ようやく女の子の孫ができ今日はひな祭り。

祝ってやりたいが転勤で遠方にいる。

お猿さんも2歳になれば人間らしく可愛くなった ^^;

 

現代の通信技術は素晴らしく、TV電話で話もできる。

可愛いおしゃべりが愛らしく、親の異動で帰るの待つだけ...。

 

好いとこ取りの爺は楽ちん、婆は色々大変だ ^0^

同居になればさらに大変。静かな生活とは当分おさらば。

 

はてさて、慣れる日は来るんだろうか....^^

 

今日から3月

早いですねぇ、もう三月になりました。

今年は積雪も一日だけで、暖かな冬だったですね。

そのせいかどうかは分かりませんが....

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名物の枝垂れ桜がほぼ満開ですが、花が少なめ ><

近くの白梅の林も花が少なめなので、裏年かなぁ。

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三期奥の河津桜も咲いてきました ^0^

 

春の彼岸も近づき、色々楽しみです。

 

備え

備えあれば患いなし...と言いますよね。

広島は平成26年8月に豪雨による大きな災害がありました。

それから4年後の平成30年7月にも大きな豪雨災害を受けました。

災害が起きる度に、備えの不備が取り上げられます。

お金と時間がかかる事なので仕方ないとも言えますが、

災害復旧にかかるお金と時間を考えれば、

やはり備えておくべきだったのじゃないかと思えるのです。

広域の公的な備えについては、手が出せなくても、

我が家のことなら色々手が打てると思います。

なのに、なぜ怠ってしまうのでしょうか....。

いつ起きるかわからない、起きないかもしれない と言う思いが

備えを遅らせる一番の原因かもしれません。

 

仕事柄、来園されるお客様には繰り返しお話しします。

お墓は皆さんが元気なうちに早めに備えておくべきですよ..と。

後鳥羽上皇の無常講式ではありませんが、人には必ず最期があります。

そしてそれがいつなのか誰にもわかりません。

しかも、起きないかもしれないこと では無いことも確かです。

そんなことは誰だって知っていることなのに....。

 

500世帯以上のお客様とお話しすると、十人十色の事情が聞けます。

ただそんな中で結論としていえることは、

早く備えた人が安心して暮らしておられるという事です。

 

 

 

 

 

漢字

昨年の11月末に、漢字が思い出せないこと書きました。

なんとなく悔しいので、ネットを色々調べて「漢字テスト」に

挑戦し始めました。

 

初めは小学生程度でも思い出せないことがあり自己嫌悪...><

中学生程度や、まして高校生程度になると、全く歯が立たない ><

腹が立つやら悔しいやら(自分に)で、なんとなく毎日続けました。

 

2ヶ月が経ちふと気づいてみると、何となく覚えているようになり、

筋肉と一緒で(爺でも)続ければそれなりに回復するもんだと...^0^

 

それにしても、漢字の歴史は奥深いし、ましてや日本語化するにあたって、

複雑さがより増しているので難攻不落です。

 

続けたってどういう物でもないのですが、もう少し続きそうです。

 

 

南伸坊さんの本

河合隼雄さんの本をけっこう読んだあと、

多田富雄さんの「免疫の意味論」や「生命の意味論」に

深い衝撃を受けて、アマゾンの古本を散策するうちに

南伸坊さんの個人授業シリーズに出会った。

 

現在は「解剖学個人授業」を読み直しながら、

「笑う子規」を読んでます。

 

なんかのTV番組で俳句バトルを見たことがありますが、

やはり正岡子規というのはスッゴイ人だったんですね。

俳句もすごいが天野 祐吉さんのコメントが出色です!!

 

こうして、どんどんどんどん深みにはまっていきます ^0^

生物学個人授業の続き

生物学個人授業(岡田節人南伸坊)を読み終えました。

ホント面白かったぁ^0^

 

生と死についても考えさせられました。

トピックとして言えば、

「生きもののからだは、すべて細胞からなっている」

「細胞の死なくしては生はない」

ということです。

「細胞の死」で面白いのは、

「いつ、どこで、どれほどの数の細胞が死ぬか」

というプログラミングができているという事。

これができないと、生きもののかたちにならない。

 

ふしぎな事ばかり習いました。

頭の中で勝手に作り上げていた常識がボロボロです^0^

 

生物の発生はふしぎの連続。

岡田節人「体の設計図」を読み始めました ^^;